大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和47年(行ツ)4号 判決

上告人

大森敏直

右訴訟代理人

竹下重人

被上告人

名古屋中村税務署長

西山幸夫

右指定代理人

平塚慶明

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人竹下重人の上告理由について。

譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものであるから、その課税所得たる譲渡所得の発生には、必ずしも当該資産の譲渡が有償であることを要しない(最高裁昭和四一年行(ツ)第一〇二号同四七年一二月二六日第三小法廷判決・民集二六巻一〇号二〇八三頁参照)。したがつて、所得税法三三条一項にいう「資産の譲渡」とは、有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為をいうものと解すべきである。そして、同法五九条一項(昭和四八年法律第八号による改正前のもの)が譲渡所得の総収入金額の計算に関する特例規定であつて、所得のないところに課税譲渡所得の存在を擬制したものでないことは、その規定の位置及び文言に照らし、明らかである。

ところで、夫婦が離婚したときは、その一方は、他方に対し、財産分与を請求することができる(民法七六八条、七七一条)。この財産分与の権利義務の内容は、当事者の協議、家庭裁判所の調停若しくは審判又は地方裁判所の判決をまつて具体的に確定されるが、右権利義務そのものは、離婚の成立によつて発生し、実体的権利義務として存在するに至り、右当事者の協議等は、単にその内容を具体的に確定するものであるにすぎない。そして、財産分与に関し右当事者の協議等が行われてその内容が具体的に確定され、これに従い金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅するが、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができる。したがつて、財産分与として不動産等の資産を譲渡した場合、分与者は、これによつて、分与義務の消滅という経済的利益を享受したものというべきである。

してみると、本件不動産の譲渡のうち財産分与に係るものが上告人に譲渡所得を生ずるものとして課税の対象となるとした原審の判断は、その結論において正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(高辻正己 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄)

上告代理人竹下重人の上告理由

原判決の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな所得税法の解釈、適用の誤りがある。すなわち、

一、上告人は、別紙目録記載の本件不動産を、上告人と訴外大森(現枡岡)恭間の名古屋家庭裁判所昭和四一年(家イ)第九八三号離婚等調停事件につき昭和四二年五月一〇日に成立した調停の結果、訴外恭に譲渡した。

右調停成立に至る経過は原判決認定のとおりであるが、その結果上告人が本件不動産を訴外恭に譲渡した趣旨について、財産分与である旨の上告人の主張を排斥して、原判決は、本件不動産は、名古屋七五一局一八二三番の電話加入権および現金一四五〇万円と共に、慰藉料および将来の扶養を目的とする財産分与の性質を併有するものであると認定した。

二、所得税法の規定に即して考えるならば、譲渡所得の本質は譲渡差益であるとの上告人の主張(原判決が引用する第一審判決三枚目表末尾二行目から同四枚目裏にいたる。)を排斥し、原判決は最高裁判所昭和四三年一〇月三一日第一小法廷判決を引用している。

資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益が、経済学あるいは会計学上の見地から所得を構成するか否かはしばらく措き、その増加益を課税の対象として把握するためには、その把握を可能とするための規定(課税標準およびその計算に関する規定)が存在しなければならない。

前記最高裁判決は、資産の譲渡が対価の受入れを伴う場合には、右増加益はその対価のうちに具体化されるのでこれを課税の対象としてとらえたのが旧所得税法九条一項八号(現所得税法三三条)の規定であることを判示するとともに、対価を伴わない資産の譲渡においても、その資産の値上りにより生じている増加益は、その移転当時の時価に照して具体的に把握できるものであるから、同じくこの移転の時期において右増加益を課税の対象とするのを相当と認め、資産の贈与、遺贈のあつた場合においても、右資産の増加益は実現されたものとみて、これを旧所得税法九条一項八号の譲渡所得と同様に取り扱うべきものとしたのが、同法五条の二(現所得税法五九条)の規定なのである。されば右規定は決して所得のないところに課税所得の存在を擬制したものではなく、またいわゆる応能負担の原則を無視したものでもないので、憲法に違反しないことを判示したものである。

すなわち右判決は、旧所得税法九条一項八号は対価(ここにいう対価は、単に譲渡代金だけではなく、資産の譲渡に伴う反対給付もしくはこれに類する経済的利益を含むことは原判決説示のとおりである。)の受入れを伴う場合についての規定であることを明らかにしたものである。したがつて対価の受入れを伴わない資産の譲渡の場合においては、資産の増加益がその資産の時価に照らして具体的に把握することができるとしても、その譲渡は右条項にいう「収入金額」を伴つたものとはならないのである。このことは、旧所得税法九条一項八号にいう収入金額とは、譲渡資産の客観的な価額を指すものではなく、現実の収入金額を指すものと解すべきである、とする最高裁判所昭和三六年一〇月一三日第二小法廷判決によつても明らかなところである。

三、原判決は「資産の移転が対価の受入れを伴う場合としては売買、交換等現実に対価を受入れる場合の外慰藉料その他債務の履行として或は債務の履行に代えて資産の移転がなされる場合を含むものと解するのを相当と考える。けだし一般に債務の履行として或は債務の履行に代えて自己の有する資産を相手方に移転譲渡した場合には、その譲渡時における当該資産の価額に相当する額の弁済があつたことになり、これによつて当該債務は消滅するのであるから、経済的利益を享受しこれが具体化した点では現実に対価の受入れを伴う場合と実質的に変りはないからである。」という。

資産の譲渡が代物弁済の履行としてなされる場合に限つては右判示は正当である。

すなわち所得税法三三条三項にいう「総収入金額」に算入すべき金額は、その年において収入すべき金額(金銭以外の物又は権利その他経済的な利益をもつて収入する場合には、その金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額)とする(所得税法三六条一項)と定められている。ここに「収入する」とは資産の増加をもたらし、もしくは資産の減少を防止することを意味すると解すべきところ、資産の譲渡が、譲渡人につき、他の法律上の原因に基づいて既に生じている債務の弁済に代えてなされる場合には、その債務の本旨に従つた弁済により生すべき資産の減少を防止した点において経済的利益の享受があつたものと解することができる。

損害賠償の額について、これを金銭によつて定めることなく、直ちに資産の譲渡をする場合においても、その資産の譲渡は、不法行為もしくは債務不履行という他の法律上の原因に基づいて、譲渡人につき既に発生している債務の弁済に代えて、なされるものであると解され、譲受人においてそれ以上の請求をしないのであれば、損害賠償の額をその譲渡資産の価額と同一の額とする旨の合意があつたものと解されるから、資産の譲渡人はその損害賠償額に相当する経済的利益を享受したものということができる。

しかしながら「債務の履行」として資産の移転が行われるのは、売買、交換、贈与等の契約の成立によつてその契約の目的たる資産につき権利移転の債務を負担した者が、その債務の履行々為として現実の権利移転の行為をすることを指すものと解すべきであり、このような契約上の債務の履行と、前述の代物弁済による資産の譲渡とを同一視することはできない。

売買、贈与等により資産につき権利移転の行為をなすべき債務を負担した譲渡人がその権利移転を実行することによつて、その債務を消滅させるのは、契約の趣旨を完結するだけのことであつて、その債務の履行じたいによつて譲渡人が何らかの経済的利益を享受することはない。この点において原判決は誤りである。

四、控訴人から訴外恭に対する本件不動産の譲渡は、慰藉料の支払いに代える代物弁済の趣旨および財産分与の趣旨を含むものであると原判決は認定した。

代物弁済の部分の譲渡は所得税法三三条の規定する有償譲渡に該当することは明らかである。

しかしながら財産分与は片務・無償行為であり、分与者が協議もしくは調停によつて負担した目的財産の権利を移転すべき債務の履行として現実に権利移転の行為をしたからといつて、分与者がそのことにより何ら経済的利益を享受するものではないことは、前述したとおりである。したがつて本件不動産の譲渡のうち財産分与としてなされた部分は所得税法三三条に規定する有償譲渡に該当しない。

財産分与に関する合意の成立による無償での権利移転の債務の負担とその履行としての現実の権利移転行為の法律上の性質は、贈与契約の成立による無償での権利移転の債務の負担とその履行としての現実の権利移転行為のそれと全く同一である。したがつて原判決の論旨によれば、財産の贈与がなされた場合においても当然に所得税法三三条の規定が適用されてしかるべきであるにかかわらず、同法五九条がことさら贈与、遺贈について「その事由が生じた時に、その時における価額に相当する金額により、これらの資産の譲渡があつたものとみなす。」旨の特別規定をおいて、課税対象を拡大していることに照らせば、同法三三条においては、財産分与、贈与等を同条にいう譲渡に含ませていないものであると解すべきである。

したがつて、本件不動産の譲渡について、慰藉料の代物弁済ならびに財産分与の趣旨を併有すると認定した以上、本件譲渡に含まれるそれぞれの部分を分割し、前者に該当する部分について譲渡所得の金額を認定し、後者に該当する部分については課税処分の取消しをなすべきであつたのに、一括して課税の対象となると判断したのは、所得税法三三条、三六条の解釈、適用を誤つたものであり、その違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

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